演目紹介

塩清め(しおきよめ)

神楽をはじめるにあたって、舞台の四方(しほう)・八方(はっぽう)をはらい清めて、神さまをお招きする舞です。
神さまやご先祖に感謝をあらわすとともにに、神楽を支援していただく皆様に対するお礼もこめています。神楽舞の基本となる舞です。

四方剣(しほうけん)

この神楽は、東・西・南・北・中央の神々を鎮め、神さまをお招きする舞です。 四人が鈴と剣を持ち、剣先を取り合い、飛び跳ね、廻ります。舞の基本となるので、子どもたちは、最初この舞から練習します。
東方は木の神(久々能智の命)、南方は火の神(迦冥土の命)、西方は金の神(みすはのめの命)、北方は水の神(みずはのめの命)、中央は土の神(埴安の命)と言われています。

鐘馗(しょうき)

この地方では、昔から、鐘馗さんは、子どもの病気を治してくれる神様としてあがめられています。 昔、唐の玄宗皇帝の夢に春夏秋冬一切(しゅんかしゅうとういっさい)の病の司(つかさ)である疫神(えきしん)が現れ、苦しめていると聞き、鐘馗(須佐之男尊(すさのおのみこと))は、茅の輪(ちのわ)と宝剣を持ってこの病(鬼(おに))を退治するというお話しです。

八乙女(やおとめ)

神さまをお招きする少女の舞です。鈴を持ち舞うもので、近年、佐田神社(さたじんじゃ)から伝えられたと言われています。

弓八幡(ゆみはちまん)

八幡麻呂(やわたまろ)が外国よりやってきた鬼、第六天悪魔王(だいろくてんあくまおう)を退治する舞です。

石見神楽の見どころは、鬼舞いの妙技です。いわば、鬼が主役であり、鬼の出場場面では囃子のテンポも速くなり盛り上がります。観客は、その凄さ、恐ろしさに引き込まれます。この舞は、鬼舞いの基本型です。(第六天とは、仏教で言う欲界の頂上にいる悪魔です)

恵比須(えびす)

恵比須さんは、農業や漁業や商売の神さまで、いろいろな町の祭に出かけては、その町の繁栄を願って鯛を釣ります。しかし、なかなか釣れないので、エサをまきます。そして苦労して 見事に鯛を釣り上げます。

黒塚(くろづか)

中国や朝鮮を飛び廻って悪いことをしていた「金毛九尾(きんもうきゅうび)」の悪狐が日本を悪の国にしょうと、美女「玉藻前(たまもまえ)」に化けて中国から遣唐使の船でやって来ました。そして鳥羽天皇の恋人になって近づき、病気にします。

しかし、陰陽師(おんみょうし)の安部晴明泰親(あべのせいめいやすちか)に正体を見破られ悪狐は、下野国(しもつけこく)那須野原(なすのがはら)に飛び去っていきますが、弓の名人「三浦介(みうらのすけ)」、「上総介(かずさのすけ)」によって討ち取られるという物語です。(勝手気ままに暴れ回る白狐が見どころです。敗れた悪狐は毒石(どくせき)となって、今も残っているそうです)

塵倫(じんりん)

身には翼を持ち、大空を自由自在に飛びまわる大悪鬼「塵倫」は、数万騎の兵を従え民を苦しめてきました。これを退治するために第14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)「中津彦(なかつひこ)」と従者の「竹丸」は天の羽々弓(はばゆみ)をもってみごとに退治しました。

八岐の大蛇(やまたのおろち)

須佐之男命(すさのおのみこと)は、高天原(たかまがはら)で、いたずらをしてあばれたので、神々に高天原を追い出され、出雲国(いずものくに)の簸の川(ひのかわ)のほとりにたどり着きました。

そこには足名椎(あしなづち)、手名椎(てなづち)という老夫妻が稲田姫(いなだひめ)という姫とともに嘆き悲しんでいました。須佐之男命が尋ねると「自分たちには八人の娘がいたが、毎年八岐大蛇が現れ、一人ずつ食べられて、ついに最後の姫となってしまった」と嘆いていました。

須佐之男命は、「酒造りの神」に強い酒を作らせ、大蛇に飲ませ、酔い伏したところを切ろうと考え大蛇を待ちました。

村雲(むらくも)がたなびいたとき、大蛇が現れ、酒を飲んで寝込んでしまいます。すさのおはその不意をついて、大蛇を退治しました。

金山姫銀山勧請(かなやまひめぎんざんかんじょう)

争いの絶えない石見銀山を憂えた守護大名の大内氏は、銀山奉行に使える大蔵大輔(おおくらたいふ)に銀山の争いを鎮め、安寧と繁栄をはかることを命じました。大蔵大輔は、夢でのお告げに従い仙ノ山に佐毘売山神社を建立し、鉱山の神様、金山姫命・金山彦命を勧請するための旅に金山師とともに旅立ちました。

途中深い山で狩人の嫗に化けた大蠎蛇(おおやまかがち)に毒を盛られ、黄金の国をさまよいますが、物部神社(もののべじんじゃ)の祭神に救われ、「十種の神宝(とくさのかんだから)」を授かります。旅を続けますが、道中また鬼神が現れ、戦いとなりますが「八握の剣(やつかのつるぎ)」「蛇比礼(おろちのひれ)」そして「ひふみの祓詞(はらいことば)」など「十種の神宝」の助けを借りて深山の鬼神の妖術を破り、退治し、旅を続け、比礼振山(ひれふりやま)の頂にある佐毘売山神社金山姫命から幣帛(へいはく)を授かり、石見銀山、仙ノ山へと岐路の旅につきました。